堀江貴文「所有欲が人を幸せにすることはない」 借金や泥棒してまで、遊んではいけない、一時は金の亡者が言っているのだから間違いありません。

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 「新しいスマホが欲しい」「そろそろ新車に買い替えたい」など、誰にだって所有欲があります。欲しいものがあることで人生や仕事にも張りが出ると思いがちですが、実業家の堀江貴文氏は「所有欲は無意味だ」と断言します。

それはなぜか? 「人生に所有欲が要らない理由」を新刊『捨て本』から一部抜粋、再構成して紹介します。

僕には所有欲がない。

車に家、高級スーツに時計、貴金属、有名なアート、トロフィーワイフ……多くのいわゆる金持ちが求めている、「自分の成功を象徴する」ような実体物を、何1つ持ちたくない。 

スマホだけは持っていようと思う。仕事や遊びに、いまのところ最も役立つからだ。けれど、もしスマホ以上に、僕のいまの暮らしを最適化させてくれるツールが出現したら、スマホもためらわず捨ててしまうだろう。

■欲しいものは何もない
堀江さんは、いま何が欲しいですか? インタビューで、うんざりするほど聞かれてきた。

「ないです」「え、何も?」「はい、まったく」「………」

こんなやりとりを繰り返してきた。

質問者が聞きたい気持ちもわかる。取材の対象になるような経営者やビジネスパーソンは、欲しいものを聞かれると、たいてい何かしら答えてくれるらしい。

人によっては、その理由や意味がキャッチーで、何も持っていない世の若者たちを勇気づけてくれる。何か意味のあるものを欲しがるというのは、成功者のステータスでもあるだろう。逆に「何も欲しくない」という僕のような答えは、拍子抜けなのかもしれない。

サービス精神で、何か気の利いた欲しいものを、答えられればいいのだけど……どんなに考えても、欲しいものはないのだ。以上。無愛想とか、つまらないとか言われても、しょうがない。

その問いに、あえて僕なりに答えるなら。所有欲にとらわれていた時代は、あるにはある。でも、その欲はとっくの昔に満たされたので、所有しなくても自分を豊かにしてくれる、いろんなものを見つけて楽しく暮らしています……というぐらいだ。

そもそも所有欲とは、何だろう? 形があり、スペースを取られるものを、なぜ僕たちは欲しがるのだろう。持つということによる、喜びや安心は、本物なのか? 持っているものが、いつまでもそこにある保証は、誰がしてくれるのだろうか? 所有するという欲望の根本的な理由は、何なのか? 

突きつめて考えていくと、哲学問答になりそうだ。所有欲は、人には誰にでも備わっているけれど、本質的には無意味だ。それは仏教や、世界中の宗教で説かれている真理なのだ。

■所有で「得られるモチベーション」は一瞬

所有欲は、状況によれば行動のモチベーションにもなるだろう。でも所有欲が、人を幸せにすることはない。まず、ない。あるとしたら一瞬だ。

いままで持っていなかったものを、努力して持ったとき、その瞬間は満たされる。しかし、勘違いしてはいけない。それは「獲得」の喜びであって、「所有」とは違うものだ。所有する喜びと、獲得する喜びを混同してはいけない。

獲得は、ある意味で報酬になる。ノルマ達成や借金返済、投資回収など、ビジネスにおいての積み上げは、大事な獲得の作業と言えるだろう。しかし所有は、報酬ではない。

所有はリスクだ。失うことへの不安、管理の手間、執着心と、いくつものネガティブ要素を運んでくる。本棚に飾っておいたり、タンスにしまっておける程度の大きさのものならいいけれど、持ち運びに難儀したり、持っているだけで出費を強要されたり、何らかの制限が付随してくるようなモノは、リスクでしかない。

対処策は、1つだけ。ためらわず、捨てることだ。喜びはモノを所有しなくても満たせる。逆に、うまく手放していければ、本当に欲しいものへと手を伸ばすことができる。

いったん所有欲に縛られると、「あれが欲しい」「これを手に入れたい」と所有物のために働くようになり、本当に自分がやりたいことに、集中できなくなる。

所有物が価値を判断する基準となるので、自分が持っていないモノを持つ人をねたんだり、持っているモノを失うことを恐れたりと、心はまったく休まらなくなる。

小学校6年生から中学のはじめぐらいまで、僕は趣味で切手収集をしていた。雑誌の通販に申しこんだり、古銭商に行ったりして、古切手を買い集めていた。「月に雁」「見返り美人」など、有名なプレミアム切手にも憧れがあった。

もちろん、子どもの小遣いの範囲内なので、たかが知れている。「月に雁」など買えるわけない。でも、たいした金額ではないが、「欲しいものを買って自分のものにする」喜びは十分に得られた。

切手を集めていると、自然と知識もついてくる。昭和以前の切手や発行枚数が少ない限定版など、手に入れづらい切手がたくさん存在することを知った。オークションイベントや交換会の情報も得られるようになった。高価で貴重な切手が、たくさんあるんだな……と思ったとき、ふと、気づいた。

「大金持ちだったら、全部、集められるんじゃないの?」

これは、僕にとって非常に意味のある発見だった。日本国内のプレミアム切手のなかで、とくに貴重なのは明治初期に発行されたものだ。

現存数は少なく、種類によっては数百万円の価値がつけられている。最高額とされるのは竜文切手と呼ばれる正方形の切手だ。逆刷りエラー版が、カタログ評価で3000万円以上。もしオークションに出品されたら、1億円は確実に超えると言われる。しかし、1億円なのだ。お金に換算できるもので、入手不可能なものではない。

■金で満たされる趣味に意味はない
貴重な切手は数少ないけれど、1億円でモノを買える人はたくさんいる。「欲しい気持ち」の多寡なんか関係なく、1億円をポンと払える人のもとに、竜文切手は行くのだ。

当時の僕はどんなに逆立ちしても、1億円なんて払えなかった。でももし億万長者になったとして、竜文切手をはじめ貴重な切手をすべて買い占めるだろうか……?と考えた。

結論、「バカらしい」だった。切手収集は、ただ獲得の快感を積み重ねているだけだった。所有することより、手に入れたという喜びを、なけなしのお小遣いを使って、連続させていたのだ。

そんな喜びは、大金があれば一瞬で総取りできる。金ですべて満たされるような趣味に、意味はない。そう考えたとき、楽しんでいた切手収集の意欲が急速にしぼんだ。大事にしていた切手たちが、すごくつまらない、不要品に見えてしまった。

普通の子どもは、じゃあ金持ちになってやろうと奮起するのかもしれない。でも僕は、わかってしまったのだ。どんなに貴重なモノでも、値段がついていれば、お金で買える。所有は「それを買えるチャンスと経済力があった」という事実を可視化しているだけ。持っていること自体には、何の意味もない。

もともと気まぐれに始めた趣味だったこともあって、決断は早かった。買い取り業者に、1枚残らず、すべて売り払った。少しは「もったいなかった」と後悔するのかなと思ったが、一切ない。空っぽになった切手ケースを見て、心の底からスッキリした。

「金で満たされるものに時間と出費を投じるのは、無意味である」。僕の思考の根本に通じる、大切なことに気づけた出来事だった。

■借金や泥棒してまで遊んではいけない
それ以降、高校生ぐらいまで、金のかかるタイプの趣味は持たなかった。

同級生たちが熱心に集めていたビックリマンチョコもミニ四駆も、僕はハマらなかった。ガンダムプラモには少し興味があった。でも手先が不器用だから、組み立てとか色塗りが下手くそで結局、楽しめなかった。

地元のゲームセンターには、しばしば通った。アーケードゲームのインベーダー、ドンキーコングは楽しくて、遊びまくった。1プレイ100円だったと思う。お金はガンガンかさむ。楽しんだ後に、所有という形で何も残らないのが、ゲームのいいところだった。

夢中になりすぎて、お小遣いを使いきってしまった。1度、こっそり親の財布からお金を盗ってゲームセンターに行ったことがある。もちろんバレて、こっぴどく叱られた。何も言い訳できない。借金や泥棒してまで、遊んではいけないのだ。大人になるまで変わっていない戒めの1つとなっている。

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